技術本部Sさんの思い
スーパーカーブームの時代。「ランボルギーニ」や「フェラーリ」のTシャツを着て保育園に通っていた私。そのTシャツが無い日は通園拒否していました。友達を呼んでは、カウンタックについて熱く語り、みんなに無視されていたように思います。父は銀行員で、父のスーツ姿を見て育った私は、「スーツを着てクルマを売る仕事」を夢見て大人になりました。
就職したのは小さな農機具メーカー。上下灰色の作業着に黒い安全靴。生産管理や品質保証を経験し、最終的に「プレス係」に配属され、毎日真っ黒になりながら鉄板相手に格闘していました。そこで板金技術を学び、CADも習得。手掛ける材料が鉄板のみという狭い現実に違和感を覚え、更なる高みを見たいという衝動から、求人広告に「半導体関連」の文字を見つけ、飛び込みました。
農機具メーカーで「±0.5ミリ」の図面に散々文句を言っていた私。目の前に出された図面に記載されていた数値は「±0.005」。正直、図面の記載ミスと思いました。
技能は「曲げる」から「削る」へ。素材は「鉄板」から「金属の塊」へシフトチェンジ。新たな製造の世界へ踏み込んだら、そこからは挫折と打開と寝不足の連続でした。でも、図面が難解なほど、要求がシビアなほど、めちゃくちゃ楽しいんです。それを避ける人もいます。わざわざリスクを抱え仕事をしなくても給料は変わらないので。でも私は自ら手を上げ、難解な図面に挑みました。新しいパズルを買い与えられた子供と同じです。気づいたら技術担当窓口となり、取引先である、半導体の業界で高い技術力を誇るその企業の生産技術や購買の方に「〇〇ちゃん」と呼ばれるようになり、業務は実践から指導と管理に変わりました。
家庭の事情で半導体関連の会社を泣く泣く退社。(リアルに号泣)
次の挑戦は医療機器メーカー。今までの経験を活かしながらインプラントの開発と製造に携わりました。一般的な形状を全て覆す形状を提案し、それを具現化し、会議での公開実演で想像通りの結果が出たときは震えました。満足感とともに、新しいことに挑戦したい衝動に…
とはいえ、けっこうな年齢です。簡単に面接までも到達せず、とりあえず倉庫でフォークリフトの運転でも。と思い、J’sFactoryの求人を見つけ面接して頂きました。
面接官であるKさんが履歴書の細かいところまで見てくれて推薦してくださったおかげで、今、本社技術部として、全国の拠点をまわりながら、今までの経験を元に技術を伝えながら、技術講習担当として頑張っています。人が大好きなので、多くの人との出会いはとても楽しく、やりがいを持って働いています。最後の職場として出会えたJ’sFactoryは、私の企業人としての集大成としてフィットする会社でした。
J’sFactoryの社長は言っています。「いつか自動車メーカーになる」と。
その時はスーツを着た私が、自社ブランドの車を、誇りを持って世に届けたいと思います。